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コミュ障は松屋以外に行くな

 

 

人生で大切なことは全て松屋で教わった

突然だけれど僕は松屋が世界で一番好きだ。

マックよりもサイゼリヤよりも吉野家よりも、イオンのフードコートよりも松屋が好きだ。

それはなぜかと考えると、松屋がコミュ障のために特化した作りになっていることが理由として挙げられる。

松屋はチェーン店であり全国どこでも共通したサービスが受けられ、不測の事態に陥ることが少ない。

また食券制を採用しているため、人間相手に注文や会計をする際に発生するコミュニケーションコストが大幅にカットできる。

生命を授かった時から「ウェ~イwウェ~イwww」と発声し、以後は少ないボキャブラリーながらもノリと人脈だけで全てを解決してきたコミュニケーション強者にはこれが分からないかもしれない。

しかし、人間にはヒットポイントやマジックポイントのように、生まれながらにしてコミュニケーションポイントというものが間違いなく存在し、その上限は人それぞれ全く違うのだ。

コミュニケーションポイントが生まれつき高い人間はいくら人と接しても全く尽きることがなく、厚顔無恥にもFacebookで「最高の仲間たち!」と言いながら海辺でバーベキューしている写真をアップする。

もしこれを僕たちコミュニケーション弱者がやったとしたら最悪即死、そこまではいかなくても寿命が30年は縮み、余生はよだれを垂れ流しながら鉄格子の付いた病院で送ることになってしまうだろう。

ちなみにコミュニケーション弱者のお手本は、水木しげるの漫画に出てくる、いつも犠牲者になる陰気なメガネのキャラである。

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常に負のオーラを発し、下を向いて歩き、非常に少ないコミュニケーションポイントながらも、次の日も生きれるように毎日人との関わりを最小限にするのに命を懸けている。

そしてコミュニケーション強者が現れると、外敵が侵略しに来た森の小動物のようにいそいそとその場を全力で逃げ出すのだ。

コミュ障が松屋に行くべき理由その1『チェーン店で不測の事態を避ける』

まずコミュニケーション弱者が一番避けなければいけない飲食店は何かと言うと、ズバリ個人経営店である。

入るやいなや「外寒かったでしょ?」とフレンドリーに接してくるおばちゃんや、「ここらへん住んでるの?」などと聞いてくる店主は全てコミュ弱者にとって敵である。

コミュ弱者にマニュアル以外の会話をさせるのは小学生にフェルマーの最終定理を証明させるような無理難題で、弱気に「アッ…ハイ…」などの定型句でしかその場を取りつくろえない。

ガンガンいこうぜ!といった感じで押しが強く、こちらの反応が鈍くても一方的に話しかけてくるタイプのNPCだと、コミュポイントが0になってヘロヘロになり、コミュポイントの回復を待つため次の日は有給を申請することも珍しくない。

さらに個人経営店は、松屋のように店の外やホームページにメニューが掲載してあるところが少ない。

つまり入って何が出てくるかは一種の博打のような側面があるのだ。

「おっ、隠れ家的ないい雰囲気のメシ屋あるやんけ~」

と入ったが最後、異臭がする得体の知れない料理が出てきて「これはドラクエの毒の沼地をイメージしたコラボメニューか?はたまたナウシカ腐海のコラボか?」という悲惨な目にあってしまう可能性もある。

そこまではなくても普通にマズい料理が出てくることは割とあり、しかもマズい場合なぜか高確率で店主がフレンドリーで「どう?うちの自慢のメニューは?」と聞いてくるパターンが多く、その場合コミュ弱者は悲しいことに「アッ…ハイ、ウマイッス…」と引きつった笑顔で答えるのだ。

もちろんこの場合帰ったら鬼神のような表情で食べログに低評価のレビューを投稿したり、Twitterで「この店マズすぎて一口食べて帰ったwww」などと架空の武勇伝を書き込むことは絶対に忘れない。

幸運にもあまり話しかけられず、味も良い個人経営店に当たった場合を考えてみよう。

不満はないためいいペースで通う。しかしある一定期間通うと絶対に出る言葉がある

それは「いつもありがとうございます」という言葉である。

この言葉はコミュ弱者にとっては滅びの言葉「バルス」と同義であるため、目をやられたムスカのように退店して二度とその店には訪れない。

コミュ弱者は自意識も強いため店員に認知された時点で食事の場所の候補から外してしまうのだ。その他大勢のモブとしての認識から1人の個人としての認識に変わることは耐え難い苦痛である。

ここまで読んできたあなたには理解できてるかもしれないが、個人経営店はどのルートを辿っても悲惨な運命が待っている。

もちろん認識されないように、毎回整形して行く、「ここらへんに住んでるの?」と聞かれたら「いいえ、火星です」などアクロバティックな回答をして会話を拒否するなどの手段があるが、通報される可能性も格段に上がってしまう。

そもそもこんな大胆なことができたらコミュ弱者ではないのだ。もうあなたを優しく迎えてくれるのは松屋しかない。そのことを胸に刻んでこの先を読んで欲しい。

コミュ障が松屋に行くべき理由その2『文明の利器、券売機の存在』

券売機は神の機械である。

人間を介さずに注文、会計ができる。自他共に認めるコミュ弱者の僕は券売機が無かったら今まで生きながらえていなかったかもしれない。

普通の飲食店だと店員を呼び、注文したいメニューを発声するというプロセスがあるが、コミュ弱者にはまず店員を呼ぶところからハードルが高い。存在感が希薄で声も通らないため店員がこちらに気付かないのだ。

そのため手を上げて顔を真っ赤にして震えながら「スッ…スミマ、スミマセェン…」と叫ぶのである。もうここでコミュポイントは尽きかけ器の底が見え始めた状態だ。

店員を呼んでもなかなか気付かれないぐらいならまだ良い。入店しても気付かれないため「いらっしゃいませ」はおろか水も出てこない。

常日頃から波風を立てないように、植物のような生き方をしているせいで入店の際に音も無ければ気配も無いという、まるで忍者のような存在へと成り果ててしまったのだ。

ようやく苦労して店員を呼び注文するところまでこぎ着けても、まだまだ苦難はある。コミュ弱者は発声が明瞭でないため何度も聞き返される。

しかも注文したいメニューが「秋の味覚!とろ~り3種のきのこのふわふわオムレツ」なんていうファミレスでよくあるタイプの名前だった時は最悪だ。

何度も聞き返されながら頑張って正式名称を伝えても店員が「はい、きのこのオムレツですね」と略称で確認されてしまい、恥ずかしさでその場で爆発したい気持ちになってしまう。

このように注文までで恐るべき量の仕事をこなさなければいけないことが分かっていただけただろうか?

コミュ弱者の中にはこの複雑な仕事を果たせず、料理が来る前に餓死して白骨化し、他の人が話しかけても「へんじがない、ただのしかばねのようだ」と返すだけの物体となって永劫に飲食店のカウンターに残り続けているケースもあると聞く。

そして恐るべき幸運で注文に成功しても、次は会計という大事業が待っている。

ここでもコミュ弱者は注文時と同じような困難に悩まされるのだ。いっそのこと食い逃げをした方が捕まる可能性を考えても楽なんじゃないか?辛い思いをしすぎてそう考えてしまったことも1度や2度ではない。

しかし松屋には券売機があり、お金を入れてタッチパネルを操作するだけでこの煩雑な作業から開放されるのだ。

ボタンを押すだけで洗濯ができる洗濯機、ボタンを押すだけで米が炊ける炊飯器、タッチパネルを操作するだけで注文と会計ができる券売機とはこれらに匹敵する革命的な発明だ。

僕はその偉業を称えるために毎朝起きたら券売機を発明した人の方角に手を合わせて祈っている。

「こんな弱者の僕を今日も生かしてくれてありがとう」

と、明瞭でない、店員には聴こえないか細い声で祈っている――

おわりに

という訳で今回はとある人が「松屋はコミュ障にも優しい」と言っていた事に対し、「いや、確かにそれは事実だけどお前の軽い認識とは違う。僕のはもっと根が深い問題なんだぞ!」ということを証明するために書きました。

なので記事を書く前にも松屋に行ってきたんですが、タッチパネルに触れるだけで券売機の暖かみが伝わってきて、牛めしの並をタッチして券売機から聞こえてきた「オカネヲイレテクダサイ」という機械的なメッセージにも母のような慈愛が感じられて泣いてしまいましたね。(ちなみにその後めちゃめちゃATMまでダッシュした)